すっぽんを食べた話

バスから降りたおじいちゃんが流れ作業のようにそのまま立ちションをしだした。イッツサマーだ。



土曜日に、インターネットで仲良くなった人たちとすっぽんを食べてきた。

私はみなさんが好きだ。

それぞれがそれぞれの責任のもとに、自由に生きていて好きだ。
それに、おいしいものをおいしいと幸せそうに食べる人ばかりだ。



最近はツイッターで知り合う人が特に増えた。
鍵もかけていないから、知り合いの知り合いなどにフォローされることも多い。

私はパカーッと扉を開いているほうだけれど、仲良くなりたい人と仲良くなるし、読みたい漫画を読むし、行きたいイベントに行く。活動のためのアカウントではないから何かを抑える必要はないし、実生活以上に疲れてしまうインターネットなんていらないと思っている。

学校や職場と同じように、インターネットという場所で出会っただけの話だ。
当たり前に、それぞれとはそれぞれの距離がある。


普段は同窓会の幹事をやったりもするし、合コンも行くし、職場の飲み会にも行く。
インターネットで自分を好きでいてくれる人たちと出会ったとしても、自分のことを何とも思わない人たちとの付き合いは続けていきたいと強く思う。





土曜日はつくづく楽しかった。

浜崎あゆみのベストが流れている中での口淫はおいしいとか、藤井フミヤは四年前がA先生との酷似ピークだったとか、これお醤油つけるといいですよとか、ゴールデンの音楽特番を観ながら外からの風だけを涼みの頼りに飲み食いをしているあの時間。まるで田舎の実家で宴会しているような感覚で、これが平成最後の夏かと思うと「最高……」が心いっぱいに押し寄せてきた。食卓を囲むってやっぱりいいな。

肝心のお店は、まあ決して綺麗ではないのだけれど、これがまた何を食べてもおいしくて、しかも笑えるくらいの破格会計だったので、私たちはおそらく大将に(男か女か判別しにくいタイプのアレ)に何かしらを仕組まれたに違いないし、大将こそがすっぽんだったのかもしれない。




私はインターネットの中だけで生きているわけではないし、仲間を見つけたいわけではない。
だから、大好きなみんなと、友達として、これからも遊べたらいいなと思います。

爆弾セックスしたかったな~。でも、好きな人とがいいな~。

大好きな人と再会した話

四年振りに大好きな人と再会をした。
初めて独り立ちをした公演の舞台監督だった人。



それは半年間にもおよぶ公演で、思い出しきれないほど色んなことがあった。サラリーマンやOLじゃ経験できないことが死ぬほど。会社はちょうど泥沼のようになった時期で、私はというと、対会社、対座組の間にいて、足を地につけて立つことができず、それはそれは中途半端な仕事ばかりをしていたように思う。自覚も嫌悪もあった。

半年の中で一番大きい出来事は、東京公演本番中のスタッフ急逝だった。何の前触れもなかった。それでも本番は止まることはないのであって、みんな唇を血で真っ赤にしながら、代わりのスタッフを手配し、亡くなったスタッフがこれからつくはずだったであろう主催先や、親交のある関係者に連絡をとり続けた。
数日後、ご家族からお見送りの知らせが入った。でも会社から当たり前の対応を許されることはなくて、「連帯責任」ということばの鎖で泥沼に入水した私は大事な仲間の最期を見送ることはできなかった。いや、そんなことはない。きっとできただろう。突き落とした相手を殴って、飛び出す勇気がになかっただけだ。あのときの私は仲間とのお別れを投げてまで、一体何を守ったんだろう。なぜ今日やらなくてもいいこんなことのために、別の人の尻拭いで机を蹴られているのか。あと一度、想いの丈を込めて手を握れるのはその日が最後だったんじゃないのか。

他にも、たくさんある。今でも思ってしまう。






昨日は四年振りだった。
最後に会ったのは、私がうつ病真っただ中のときだ。

大好きな人は、豪快で、狡猾で、甲斐性があって、途方もなく愛に溢れていて、選ぶことばが繊細で、よく「善悪とかどうでもいいから、みんな笑顔でいなきゃいけないよ」と口にする。昨日も似たようなことを言っていた。
敵も多ければ、味方も多い。そんな人。


私がうつ病になって、 家から一人で出られなかったときには、一週間に一回、段ボールにいっぱいの食料品を送りつけてくれた。それもスーパーで買ったものではなくて、名古屋から味噌煮込みうどんとか、福岡からもつ鍋とか、気に入ってるものをわざわざ取り寄せてくれた。食べただろう頃に「あれ食ったか?美味いだろ?」ってそれだけ連絡よこして、じゃあなってすぐ切られる。その連絡にどれだけ心を楽にしてもらっただろうか。




昨夜は、ガゼウニをスプーンで食べながら、

「おい、お前な。その笑顔は誇っていいことだ」「何がですか」
「お前のその笑顔はな、今がこの時間がどうじゃなくて、この四年間、きっと背かずに、ずっと前を向いていたことがわかる笑顔だ。自分を律してできる笑顔だ。お前は逃げなかったんだよ。すごいな」
「いえ、そんなこと」
「俺は、お前が笑ってくれていて、本当に嬉しいよ」

って、会話をした。

真正面からことばをかけてくれる人って、どれくらいいるだろうか。




先日、横槍先生のツイートに
『仕事でもなんでもみんなお互いの価値がわかる人と一緒に居て欲しい。』
とあったのだが、その通りだと思う。




「お前は俺みたいに成長できない人間じゃない。もう気にするな。こうやってお互いに笑顔で会うことができる、それだけで十分だろ?」
酩酊しながら、私の目をまっすぐ見て言ってくれた。

「おしゃれなジョークはもういい加減にしてくださいよ」
と、うつ病のことも自分なりのことばで包んでくれる。おそらく私に少しでも暗がりがあれば、こういうことばは絶対にかけなかったろうと思う。



私はこの人の価値を理解できるし、この人もまた私の価値を理解してくれている。
勘違いではなく、そうだと思う。

だから私はこの人から連絡があればどうにかして時間をつくるし、逆も然りだ。






散々ご馳走になった別れ際、いつも先に御礼を言われる。

「今日はありがとう」

大きい手を差し出されて、両手で包んで握り返す。その度に、大好きな人がもっと大好きになる。大人になるとはどういうことかわからないけれど、こういう人でありたいと思うのだ。

昨日は最高の夜だった。








月並みなことばとともに、愛を込めてこの文章を綴ります。

私はあなたがいなくても生きていけるけれど、あなたがいたから生きられます。

大好きです。

記憶回帰装置の話

皆さんにもあるのではないか、記憶回帰装置。



触れると、そのときの気持ちや感覚が蘇ってくるもの。人によっては、懐かしさに、支えに、苦しさにもなりうるものだ。

私にも沢山ある。
おやじのラーメン、阪急梅田駅、生田緑地の展望台、おとぎ話のwhite song、錦糸町


記憶に縋っているわけではない。記憶がただ存在している感覚である。
いいものだけではないし、悪いものもある。それはあくまでも、今までの生きてきた全部であるからだ。



年齢を重ねれば、家族や友人、職場の仲間も増えていくし、色々な経験もする。好きな人もできる。恋愛も終わる。環境だって移り変わる。
その隙間、隙間には、記憶回帰装置が、ポケットから知らぬ間に溢れていく砂のように音も立てずに落ちていく。だから、ふと耳に飛び込んできた曲で涙がこぼれてしまう。意識なくとも、処々に装置は存在しているのだ。



記憶は、自分の意思と反して勝手に増えてしまうものだ。勝手に増えてしまうのだから、どうしようもない。


勝手にされるくらいなら、こっちで勝手にしてしまえ。
どうせ忘れられないのだから、覚えておいてしまえ。

私はそう思ってしまう。決して思い出したい記憶ばかりではないけれど。




何ともない終電後の駅前の景色だって、大好きだったあの人のことを思い起こさせる。大好きだった人の、声、言葉、表情、手の温かさ。
終電後の数時間、このまま夜がのびてしまえばいいと願ったあの日だ。


未練ではない。

好きだった人は、変わらず好きなまま。嫌いになる理由はない。
ゆえ、記憶である。





自分の記憶回帰装置を使えるのは、自分だけだ。
あなたにとってのその記憶が宝石ならば、それは宝石だし、大事に取っておいていい。


今日も今日とて、思い出しをする。
記憶回帰装置を使いこなすことができれば、向く方向は前だけなのだ。

ガロと人生の話

先日の阿佐ヶ谷ロフトのイベント『マンガのハナシ』の終盤、涙が出そうな場面があった。

室井大資先生と、壇上に上がられた担当編集Aさんの並んだ姿が「人と人」であったからだ。忘れたくない光景だったのだけれど、23時まで飲み続けたおかげでぼやけており、台無しである。

帰宅早々、気が付いたらガロを手に取っていた。私にとっての特別な本だ。



私がねこぢるうどんと出会ったのは小学校二年生のときである。「兄貴が教えてくれた面白いアニメがある」と、幼馴染がリモコンの再生ボタンを押した先の画面に映ったアニメがそれだった。

しばらく時間が経ち、高校生になると携帯を持った。あのネコのアニメはなんだったのだろうか。当時ネット掲示板に張り付いていた私は、その狭い世界の中ばかりにいたのだけれど、気になって調べてみることにした。
ねこぢると知った次いでに、ガロという雑誌の存在を知った。当時は今ほどネットショッピングが普及しておらず、オークションが多かった。私も高校生だったので、ガロそのものを手に入れることはできず、連載をしている先生方の漫画をブックオフで探すようになった。

王道中の王道だが、初めて手に取ったのはつげ義春先生の『ねじ式』だったと思う。


今まで読んでいた漫画とは明らかに違う、異質なものに殴られたような感覚だった。私がガロに興味を持ったのはそこからだ。



高校を卒業して、関西の大学へと進学した。
週6、7日働いて学費や生活費を稼ぎながらガロを一冊ずつ買い集めた。本棚にガロが並んでいくのを眺めることが特別な楽しみだったように思う。


私はイベンターになりたくて大学へと進学したのだが、いざ就職活動を始めると、すぐ「募集対象、四年制大学卒業以上」の壁にぶつかった。
そもそも、やりたいことはあっても何のイベントがやりたいのかも分からず、どの会社を受けたらいいのか途方に暮れてしまって、間もなく就職活動をやめた。卒業したら上京しようとだけ決めて、何の不安もなく。今振り返れば能天気もいいとこだ。

しかしながら、生活費と引っ越し費用で貯金は当然尽きてしまっていて、弟の進学のための上京に合わせてアパートに上がりこむ計画だったので、泣きながらガロを処分した。

上京後はハローワークへ通い、イベンターに近そうな仕事を片っ端から探した。偶然なのか必然なのか、二週間ほど通ったある日、ガロの作家と関われるかもしれない会社の求人と出会えたのである。根拠も何にもなかったが、受かる気しかせず、面接へ行き翌日には電話で内定をもらった。実際に、林静一先生とはお会いすることができて、ひとしきり泣いた。
「好きな人やものを、後世に残すために仕事をしたい」とストンと落ちた感覚があったのはこのときだ。



なぜガロが10代の学生であった私を打ちのめしたのだろうか。

ガロは、「人そのもの」だったからだと思う。作家も、編集も。そこに宿されていたエネルギーも。



白取さんのことを知ったのも、おそらく20、21歳そこそこのときだ。『白取特急検車場【闘病バージョン】』の中でガロ的編集道について書かれた回があるのだが、私はこの記事に出会ってから、ずっとブックマークを離したことはない。


無から作品を生み出す作家の才能というものを尊敬し第一と考えること
編集はあくまでその作品を世の中に送り出すサポーターであり良きアドバイザであること
作品は商業的成功=売れることが望ましいのは言うまでもないが、それを最優先にして作家に強制したり、混乱・疲弊させるのは以ての外であること


演劇制作という、出版業界で言えば「編集者」に近い立場になって以降、その職を離れてからもずっと心に留めている。


一年後には、いわゆるテレビや映画に出ている芸能人を起用するような会社へと転職をしたのだが、根本的なことは何にも変わっていない。
同じようなことを当時の社長にも言われたし、「作家(演出家や役者)がつくった作品が売れないのは、あなたたち制作の力不足以外の何物でもない」と事あるごとに怒鳴られた。「面白い作品だから売れるんじゃない、面白いことが伝わってこそ売れるのだ」と。


もう本職ではなくなったから、こういうことを書いている。
でも、やりたいことはまだ持っているし、今もやりたいようにやっている。
飯が食えないと、何にもならない。飯は食わないといけない。



一つだけ確実に言えることは、「ガロがあって、私の今がある」ということだ。

あのときガロに出会っていなかったら、演劇の世界に出会っていなかったし、長井さんや白取さんの存在を知ることもできなかった。学生の頃にmixiを通じて知り合った男性のおかげで大学も辞めずに済んだし、なめくじ長屋寄考録に辿りつくこともきっとなかったのではないかと思う。

漫画を通じて友達が欲しいわけではない。
そのために気を遣って縛られるなんて全くもって御免だ。
好きなものには誠実でありたいし、自由でありたい。


年内におおかみ書房から白取先生の半生を綴った自叙伝『全身編集者』が刊行される予定だ。
人生を変えてもらった一人として、生涯一編集者として生きられた白取さんの生涯を、少しでも知りたいと思う。
白取さんの魂に、一体何人の魂が合わさってこの本が完成となるのかと思うと、待つからだが震えて止まらない。

自分に出会った話

自分の容姿が好きではない。
一般的にも下の上、大目に見ても中の下とかそのくらいだと思う。


でも美容サロンに行くのは好きだ。

形として残らないものにお金を使う行為をもったいないと思う人もいて当然なのだけれど、私はエステやネイルやまつげエクステヘッドスパや腸揉みが好きだ。他にもある。沢山ある。年がら年中ホットペッパービューティーを見ている。


なぜ、そこまで好きなのだろう。
施術が終わって鏡を見たときに、その先の自分に出会えたような気分になる。

そもそも美容サロンに行くようになったのは、一昨年、小さい頃からずっとコンプレックスだった深爪の矯正に勇気をだして行ってみたことがきっかけだった。たった一回の施術で「当たり前に見せられる爪」になったその日の夜は、何度も何度も爪を眺めては、お風呂の中で、ベッドの中で、じんわり涙を浮かべたりした。しばらくの間、寝ても覚めてもずっと爪を見ていた。爪に話しかけてみたりもした。たぶん、舐めもした。無味だった。

人生が、たしかに明るくなった瞬間だった。
自分の爪を好きになれる日が来た。

行くまではスタッフのお姉さんに笑われるのではないかと思っていたのだが、二人三脚のごとく全力で爪の育成を支えてくれた経験も最高の収穫だった。コンプレックス勢にとっては、サロンに行くまでが一番の難関だといっても過言ではない。


私は痩せているどころかむしろ太っているし、鼻はぺちゃんこ、毛質も多くて硬く、肌も全く透明感がない。つまりは美容サロンに行ったところでどうにかなるわけでもないし、上の上になれるわけでもない。だから一般的に美人と呼ばれるような外見には到底届かないのだけれど、それでも変わった自分を見て、なんだか自分のことが好きになれるのだ。ちょっと!可愛いじゃんか~!って鏡に向かって言いそうになることもある。


これだ。

「ちょっと!可愛いじゃんか~!」

これが大事だ。



自分を好きになれた女の顔は強い。
自撮りだって可愛く写るようになる。仕事もうまくいっちゃったりする。茶柱も立つ。

「自分と向き合えたやつは強い」、ここへ帰結するのではないか。


ネイルを始めてから生理不順も治った。
え、るりちゃん?ちょっといい女感だしてきてない?なんだよ~女性ホルモン多めにサービスしちゃうぞ?お?お?って、きっと生成器官が頑張ってくれたに違いない。



だから声を大にして言いたい。
美容は「自分のため」にやっている。好きでやっている。ね?それならいいでしょ?



ブスが美容サロンに行ってても、どうか温かい目で見てほしい。あわよくば、もし、少し可愛く見えることがあったら「今日可愛くない?」って茶化してあげてほしい。冗談でも、自分自身を好きにならせてくれる力を秘めた言葉をかけてもらえることは、この世に存在する数多ある言葉の中でもトップを争うほど嬉しいものだ。

誰かに馬鹿にされたら、放っておけばいい。
あなたのことを可愛いと思う人はここにいるし、あなたと一緒に可愛くなっていけたら嬉しい。


「なりたい」を叶えてくれるのが美容サロンではない。
自分と向き合って、自分を好きになるための場所が私にとっての美容サロンだ。


今週もまたエステへ行く。
悩みとともに生きる、それでいいのだ。