大好きな人と再会した話

四年振りに大好きな人と再会をした。
初めて独り立ちをした公演の舞台監督だった人。



それは半年間にもおよぶ公演で、思い出しきれないほど色んなことがあった。サラリーマンやOLじゃ経験できないことが死ぬほど。会社はちょうど泥沼のようになった時期で、私はというと、対会社、対座組の間にいて、足を地につけて立つことができず、それはそれは中途半端な仕事ばかりをしていたように思う。自覚も嫌悪もあった。

半年の中で一番大きい出来事は、東京公演本番中のスタッフ急逝だった。何の前触れもなかった。それでも本番は止まることはないのであって、みんな唇を血で真っ赤にしながら、代わりのスタッフを手配し、亡くなったスタッフがこれからつくはずだったであろう主催先や、親交のある関係者に連絡をとり続けた。
数日後、ご家族からお見送りの知らせが入った。でも会社から当たり前の対応を許されることはなくて、「連帯責任」ということばの鎖で泥沼に入水した私は大事な仲間の最期を見送ることはできなかった。いや、そんなことはない。きっとできただろう。突き落とした相手を殴って、飛び出す勇気がになかっただけだ。あのときの私は仲間とのお別れを投げてまで、一体何を守ったんだろう。なぜ今日やらなくてもいいこんなことのために、別の人の尻拭いで机を蹴られているのか。あと一度、想いの丈を込めて手を握れるのはその日が最後だったんじゃないのか。

他にも、たくさんある。今でも思ってしまう。






昨日は四年振りだった。
最後に会ったのは、私がうつ病真っただ中のときだ。

大好きな人は、豪快で、狡猾で、甲斐性があって、途方もなく愛に溢れていて、選ぶことばが繊細で、よく「善悪とかどうでもいいから、みんな笑顔でいなきゃいけないよ」と口にする。昨日も似たようなことを言っていた。
敵も多ければ、味方も多い。そんな人。


私がうつ病になって、 家から一人で出られなかったときには、一週間に一回、段ボールにいっぱいの食料品を送りつけてくれた。それもスーパーで買ったものではなくて、名古屋から味噌煮込みうどんとか、福岡からもつ鍋とか、気に入ってるものをわざわざ取り寄せてくれた。食べただろう頃に「あれ食ったか?美味いだろ?」ってそれだけ連絡よこして、じゃあなってすぐ切られる。その連絡にどれだけ心を楽にしてもらっただろうか。




昨夜は、ガゼウニをスプーンで食べながら、

「おい、お前な。その笑顔は誇っていいことだ」「何がですか」
「お前のその笑顔はな、今がこの時間がどうじゃなくて、この四年間、きっと背かずに、ずっと前を向いていたことがわかる笑顔だ。自分を律してできる笑顔だ。お前は逃げなかったんだよ。すごいな」
「いえ、そんなこと」
「俺は、お前が笑ってくれていて、本当に嬉しいよ」

って、会話をした。

真正面からことばをかけてくれる人って、どれくらいいるだろうか。




先日、横槍先生のツイートに
『仕事でもなんでもみんなお互いの価値がわかる人と一緒に居て欲しい。』
とあったのだが、その通りだと思う。




「お前は俺みたいに成長できない人間じゃない。もう気にするな。こうやってお互いに笑顔で会うことができる、それだけで十分だろ?」
酩酊しながら、私の目をまっすぐ見て言ってくれた。

「おしゃれなジョークはもういい加減にしてくださいよ」
と、うつ病のことも自分なりのことばで包んでくれる。おそらく私に少しでも暗がりがあれば、こういうことばは絶対にかけなかったろうと思う。



私はこの人の価値を理解できるし、この人もまた私の価値を理解してくれている。
勘違いではなく、そうだと思う。

だから私はこの人から連絡があればどうにかして時間をつくるし、逆も然りだ。






散々ご馳走になった別れ際、いつも先に御礼を言われる。

「今日はありがとう」

大きい手を差し出されて、両手で包んで握り返す。その度に、大好きな人がもっと大好きになる。大人になるとはどういうことかわからないけれど、こういう人でありたいと思うのだ。

昨日は最高の夜だった。








月並みなことばとともに、愛を込めてこの文章を綴ります。

私はあなたがいなくても生きていけるけれど、あなたがいたから生きられます。

大好きです。